「すずめ金融の政 今日もハマの街をいく」

プロローグ

 ラブホテルで風俗嬢の溺死体が発見された。

 そのホテルは無人ではなく運良く従業員がいた。一緒に入った客は三時間も前に退室している。ホテル側には一泊料金が支払われていた。

「酔って風呂の中で寝ちまったんだな。おい、井ノ口(いのぐち)。事故死で報告書上げとけ」

 外傷もない。室内のローテーブルにはビールの空き缶がいくつか散乱していた。

 井ノ口と呼ばれた男は溺死体を眺めていたが、慌てて我に返った。

「え? 司法解剖にはまわさないんですか?」

 それを聞いて四十代のベテラン刑事は鼻で嗤った。

「風俗嬢がラブホで酔っ払って風呂入って溺れた。外傷なし。何が問題なんだ? あ? お前の頭には綿でも詰まってるのか?」

 ベテラン刑事がそういうと周りにいた鑑識の連中も失笑した。

 ──けど、薬物の可能性も……。

 そう言いかけてグッと堪える。それでなくとも昇進試験を通ったばかりの井ノ口は、ここではお荷物なのだ。

「……すいません。分かりました」

 井ノ口は珍しく空気を読んでそう答えた。

 そしてすっかり顔色の変わり果てたホトケを見つめた。

 ──あれ? このホトケどこかで見かけた気がする。

 どこだったか……捜査はそっちのけで井ノ口の意識はすでにそちらに向かっていた。

その当日、県警に配属された男がいた。異動の時期ではない。程よく追い出されたに過ぎない。そんなことは本人がよく分かっていた。ここにだって特に興味があるわけではない。

問題を起こすなよ。そう口酸っぱく言われていた。問題を起こしている気はさらさらない。ただ単に周りと亀裂が入るだけだ。

理由はよく分からないんですよねえ。そう思いながら入口からその建物を見上げた。

 ちょうど捜査から引き上げてきた集団とかち合った。それぞれが(だる)そうに歩いてくる。その中でも一番年上らしき男がぶつかってきた。どうやら目に入らなかったらしい。特に何を言い放つわけでもなく、そのまま歩いて行く。気をつけろでもなければ、すみませんでもない。何もなかったかのように通り過ぎて行った。橋口(はしぐち)は小さいほうではない。自動販売機と同じ背の高さもあるし、決して細身でもない。

 見えなかったんでしょうか? 橋口は首を傾げた。

「──あ、すみません」

 そう言いながら橋口の前を小さな男が、さらに背を丸めて通って行く。

「井ノ口ッ!」年配の男は怒鳴った。小さな男は返事をしながら、小走りになった。

 なるほど。橋口は細い銀縁の眼鏡のブリッジを指で押し上げると、その集団を興味深く見送った。

第一章 大事な人たち

 桜井(さくらい)政宗(まさむね)二十九歳。生まれも育ちも生粋(きっすい)のハマっ子である。本業は『テキ屋』、副業は『街金』と自分では思っている。ちゃんと認可された貸金業者の代表である(もちろん金利は上限目一杯ではあるが)。暴利を貪る闇金とは違う。それはプライドだ。

 会社の名は〈すずめ金融〉。これは政宗が気に入ってつけた名前だが、評判はイマイチである。大きな商店街から近く、繁華街の裏路地のビルの二階にある。場所的には最高の立地だ。飲み屋街と風俗街に近い。つまりすずめ金融の顧客は”その手の客”が多いということだ。

 政宗は中学卒業後、一応高校へ入った。血気盛んな時期。その頃から”その筋の世界”へ顔を出すようになった。だが商業高校だった政宗は、何故か荒事より金勘定の仕事にまわされた。当時はまだ闇金という言葉はなく、街の金融業者が好き勝手出来た時代であった。政宗はそこで貸金の仕事を覚えた。

 政宗は腕っぷしには自信があった。同級生よりもひと回り大きかったし、喧嘩に負けたことはなかった。それもあって取り立てには自信がありますとばかりに事務所へ顔を出した。しかし命じられたのは借主の書類整理とパソコン入力。182㎝のそこそこ筋肉質な男がちまちまと作業している姿は、案の定周りから揶揄われる対象となった。

 政宗は大層不満だったが、そこの頭が政宗にそれを命じたのだから仕方ない。頭の言うことは絶対なのだ。

 頭の名は嶋田(しまだ)といった。政宗でも知っているほどの組のそれなりの役職らしかったが、盃を交わしたわけでもない高校生には本当のことは教えては貰えなかった。

 嶋田はパンチパーマに色付きの眼鏡、いつも派手な色合いのダブルのスーツだった。誰がみても分かりやすいほどのその筋の人だった。しかし見た目はそうでも、普段の嶋田は温和で必要以上のことは喋らない男だった。何がよかったのか政宗は嶋田に可愛がられた。

「政、書類整理はただ揃えればいいってもんじゃねぇ。いつ借りてちゃんと返したか、仕事は変わってねぇか、いつもと変わったところはねえか、細かいとこまで見て覚えとけ」そう言った。何のことやらよく理解しないまま政宗はただただ暗記した。

 確かに嶋田のところはその筋だけあって、取り立てには容赦ない。だが嶋田の回収率は他所と比べても段違いに高かった。

 そして嶋田は「取り立ては効率は良くねえ。だったら返せるヤツだけに貸したほうがよっぽど効率的だ。まあ、それはどこも一緒だけどな。だからな、ウチみたいなところはギリギリのところを見極めるわけよ、返せそうなヤツのな。政、お前はそれを覚えろ。それさえ覚えちまえばこの仕事で食っていける」ということも何度も言った。

 月末が近くなると借りにくる者、仕事が変わる度に借りにくる者。キチンと返しにくる者、何だかんだと理由をつけて利息だけ払っていく者……そして逃げる者。

 政宗は仕事に慣れてくると嶋田の言ったとおり、借り手の小さな変化も見逃さないように観察した。

 見た目や肩書に騙されてはいけない。もっと本質を、もっと細かいところまで。暫くすると嶋田の言った意味を理解するようになった。

 ほんの小さな変化だ。女だったらマニキュアの色が変わったとかその程度のことである。けれどそんな小さなことが回収率に大きく反映した。

 政宗の意見が全て取り入れられることはなかったが、嶋田はそれでも折りをみて政宗に「政、お前ならどうする?」と聞いてきた。そのくらいには政宗は重宝されたのである。

 政宗は高校をなんとか卒業しても、事務所への出入りを続けていた。周りからは盃を交わすことを勧められたが、嶋田は首を縦には振らなかった。

 それから暫くして街の金融業者への締め付けが厳しくなった。

 嶋田の事務所にも例にもれずガサが入った。ガサが入る情報は事前に耳に入っていた。嶋田は政宗を呼び出し、顧客名簿を持って暫くおとなしくしていろと言った。

 すでにいくつかの事務所にはガサが入っていた。それはどちらかと言えば形式的なもので、政宗は嶋田の指示を不思議に思った。しかし頭の指示は絶対である。

 政宗はガサが入る前日から姿を潜めた。

 ガサ入れは他のところよりもずっと厳しいものだった。他では逮捕された者はいなかったというのに、嶋田は逮捕された。調子に乗っていたから見せしめだという噂が立った。

 政宗は放り出されてしまった。組の関係者でもないので、そこに頼ることも出来なかったし頼るつもりもなかった。

 嶋田が止めていたのは何か理由があるはずだ。政宗はそう思った。

 しかしまだ二十歳そこそこだが、政宗は金貸し以外の仕事をしたことがなかった。どうするかと思っていたところに、事務所時代の仲間がテキ屋の仕事を紹介してくれた。

 もともと祭りや人の集まるところは好きだった政宗にはテキ屋は天職だった。

 焼きそばを焼いたり、金魚すくい、ヨーヨー釣り、何でもやってみた。肉体労働は性に合っていたし、重い荷物も苦にならなかったし、何よりお客さんと話すのが楽しかった。しかも腕っぷしも強かったので、喧嘩を止める役として重宝された。

 長身でガタイもよく、真っ赤に染めた短髪で耳朶に幾つも開けたピアスのおかげで、政の名前はすぐに覚えてもらえた。しかも愛想が良かったので、年上からは可愛がられた。

 そんな生活が三年も過ぎた頃、政宗の前に嶋田が姿を現した。

「貸金、ですか?」

「ああ、お前なら認可取れるだろ?」

 嶋田は煙草に火を点けた。

 商店街の並びにある喫茶店に二人はいた。嶋田は刑務所から出てきたばかりのようで、白いシャツにジャンパーを羽織っていた。政宗が一度たりとも見たことのない格好だった。

「……組には戻ってないんですか?」

 政宗は声を潜めた。いくら訳ありの客ばかりが集う喫茶店といえども、そこは気になった。

「政。俺はお前に身を潜めておけって言ったこと覚えてるか?」

 政宗は頷いた。

「……俺もまさかとは思ったがな。念には念を入れておいて正解だったってわけだ」

 政宗は首を捻る。

「──嵌められたんだよ。もう組に俺の居場所はねえ」

「なっ……!」

 大きな声を出しそうになって、政宗は慌てて口を押さえた。

「……裏切りモンがあの事務所に居たってことですか?」

「裏切りっていうよりはもっと上の争いだ。それに巻き込んじまったってことだな」

 嶋田はゆっくりと煙草の煙を吐いた。

「──政、まだ例の名簿、持ってんだろ?」

「はい」

 嶋田のことを尊敬していた政宗は大事にそれを取っておいた。

「それがありゃ取り敢えずは商売できるな。で、相談だ。俺が表に出ることは出来ねえ。政、お前なら出来る。貸金、一緒にやらないか?」

 嶋田は刑務所に入ってすっかり痩せてしまったが、目だけは以前と変わらずギラついていた。

「嶋田さん、そう急に言われても。俺にも今仕事がありますし」

「テキ屋の仕事か?」

 政宗は頷いた。

「ンなもんはいつでも出来るだろ? というかテキ屋の稼ぎはどうなんだ? 儲かってんのか?」

「まあ、そこそこです」

 確かに政宗の年齢にしては稼いでいるほうだと思う。だが十代であり得ないくらい稼いでいた頃と較べれば、それほどでもないと言わざるを得なかった。

「テキ屋の仕事は楽しいか? それとももう所帯持ってんのか?」

「所帯は持ってませんよ。テキ屋の仕事は、楽しいです。頼りにされてるっつーか」

「稼ぐのには興味ねえか?」

 政宗は黙ってしまう。それこそ十代であり得ない稼ぎを散々ぱら体験してしまった。特にカネには興味はなかった。

「カネは持ってて困らねえぞ」

 政宗は難しい顔をした。

 そうじゃねえ。俺はアンタと仕事がしてえんだよ。

 そう言いたかったが、何故か嶋田は俺と一緒にやろうとは言ってくれなかった。

「……どうだ?」

 嶋田は身を乗り出してくる。何か切羽詰まっているように政宗には見えた。

「──ウッス」

 政宗はそう小さく呟いた。

 政宗がテキ屋のすでに入ってる仕事をこなしてる間に嶋田は着々と進め、いつの間にか資格をもった者を見つけてきて登録する手はずを整えていた。事務所も既に決まっているという。

 政宗と嶋田は情報交換のため、定期的に飲みに行った。野毛のはずれで見た目はボロいがも居心地は悪くなく、年配の親父が一人で細々とやっている居酒屋だ。値段は高くない。

「すっげ。もうこんなに進めてるんですか?」

 政宗は嶋田が持ってきた書類を見ながらそう言った。片手にはレモンサワーを持っている。

「まあ、こんなもんだろ」

 嶋田はそう言うと緑茶で割った焼酎を呷った。

「さすが嶋田さんだなあ」

 政宗がそう言うと、嶋田は苦笑した。

「まあな……と言いたいところだけど、これも全部政のおかげだからな」

「俺!?」

 政宗は嶋田の予想外の返事にレモンサワーが変なところに入ってしまいむせたしまった。

「お前だけ組の人間じゃなかったからな。それで書類を持たせた。その書類にいろいろ書いておいたからな。他は綺麗サッパリ持ってかれちまった」

「警察に、ですか?」

「それだけじゃねえ。俺を嵌めた奴らにも、だ」

「……何かあったんスか?」

「パソコンの情報が盗まれてた。まあそんなこともあろうかと、わざわざ紙に書いておいたんだけどな。政、お前のところにも何か来なかったか?」

「俺ンとこっすか……」

 政宗は記憶を手繰る。そういえば……

「がUSBどうこうって聞きにきた奴がいましたね、屋台組んでた時に。警察じゃねえ若い奴で、俺が『ゆーえすび?』って答えたら一緒にやってた野郎が爆笑してたっけ。そしたら帰りましたけど」

「まあ、そうだろうな」

「嶋田さんの名前は出てきませんでしたよ」

「俺の名前が出てきたら、お前は絶対警戒するだろ?」

 政宗は頷いた。

「お前は運がよかった。組に誘われる前にとっととテキ屋を始めて、組合長にも可愛がって貰ってただろ? それで手荒な真似はされなかった」

「はあ……」

 政宗は何となく複雑な気分になった。よく考えれば何も知らずにのほほんと生きてたってことだ。

「バカ。そんなツラすんじゃねえよ。こっちとしては助かってんだからよ」

 嶋田は人差し指で政宗の額を突いた。

「はいよ、お待ち。タコの唐揚げ」

 親父が二人の前に皿を置いた。

「嶋田さん。そろそろボトル無くなりますけど」

「ああ、新しいの入れてくれ」

「まだ、芋はお好きですか?」

「ああ。でも悪いが個人で自由になるカネがねえんだ。悪いな。いつもの鏡月でいい」

「いい芋焼酎を頂いたんですよ。私はもう飲まないですし。よかったら芋飲みませんか? 鏡月と同じ料金で構いませんよ」

「そうか。じゃあ、お願いしようか」

「嶋田さんにはお世話になりましたしね」そう言うと親父はいそいそと奥へ入って行った。

 嶋田は確かに高利貸しだったし、取り立てもハンパじゃなかった。けれど確実に嶋田に助けて貰った人間は少なくない。

「──やっぱ嶋田さんはかっけえっす」

「なに言ってんだ、今さら」

 嶋田は笑った。

「今はこんなナリしかできねえからな」

 嶋田は着ている自分のジャケットに手をかけた。確かに昔のような何十万もするオーダーメイドの派手な色のダブルのスーツではない。替えのスラックスも付いた吊るしのスーツだ。

 白いワイシャツにグレーの吊るしのスーツ、地味なネイビーのネクタイ。色付きの眼鏡は銀縁の細い眼鏡に変わっていた。短く刈り込んだ頭髪も白いものが混じっていた。身体はムショに入る前より少し痩せただろうか。

「十分、かっけえっす」

「……政、テキ屋はあと何回入ってる?」

 急に嶋田は話題を変えた。

「祭りがあと二回あるんで、四回店出したら終わりっすかね」

「そうか。なら終わったらスーツ買いにいくぞ」

「は?」

「お前が頭だからな。役所とかにも行って貰わなきゃなんねえ。そんな格好じゃ行けねえだろ?」

 政宗の今日の格好は派手な柄のTシャツにカーキのカーゴパンツ。おまけにビーチサンダルだった。

「あと、悪いが髪も染めて欲しい。真っ黒にしろとは言わないが、せめて茶髪だな。あとスーツの時はピアスは一つまでだ」

「厳しいっすね」

「そういう時代なんだよ」

 嶋田はそう言うと残りの焼酎を一気に飲み干した。

**

 テキ屋の仕事を終えるとすぐに嶋田から連絡がきた。

 嶋田は政宗に深いネイビーのスーツ一式を買い与えた。その場ですぐにスーツに着替え、もう一人の仲間に会いに行った。

 その貸金業務取扱主任者を持つ男は、他の会社ならとっくに定年退職になっているくらいの年齢だった。

 人の好さそうな笑みを浮かべていて、政宗はこれなら上手くやっていけそうだと思った。少なくとも危険な匂いのする男ではなかった。

「徳本さん、もと銀行マンだ」

「もう随分前の話ですよ」

 徳本は小さな身体だが声は大きく滑舌のいい男だった。銀行に長年いたせいか品が良く、よく見ないと分からないほどの細いストライプのネイビーのスーツを着ていた。嶋田や政宗が着ているような吊るしのスーツではなく、明らかに仕立てられたものだった。

「こないだまで税理士事務所で働いていてな」

「はあ」

 政宗は嶋田の顔の広さに驚く。一体どこから連れてくるのか。

「最長三年の約束で来て貰っている」

「はあ」

 その後はどうするんだろう。まあ先のことを考えても仕方ないかと政宗は思った。

「なに呆けた顔してんだ? 徳本さんがいる間にお前が資格を取るんだよ。しっかりしろ」

「は?」

「私はもうこの年齢ですからね、いい加減田舎に引っ越したいんですわ。田舎で畑でも耕しながら第二の人生ってね。もう家まで買って引っ越しの準備も済んでたのに、嶋田さんから頼まれちゃいまして」

「無理言って済まなかったな」

「いえいえ、嶋田さんからの相談は断れませんって」

「奥さんはもう先に?」

「ええ。好き勝手に畑にいろんなのを植えてますよ」

「というわけだ。徳本さんが直々に指導してくれるから、死ぬ気で頑張れよ」

「いや、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。俺は貸金の仕事っていうから、取り立てに行くんだとばっかり……」

「そんな危なっかしいこと、最初からやるわけないだろう?」

「そりゃ、そうですけど…」

「お前の仕事はまず貸金業務取扱主任者になることだ。分かったな?」

 嶋田がそう言うと徳本はよろしくねと言ったがその瞳の奥をみつめた政宗は、どうやら思っているよりも優しくはなさそうだと思った。

 政宗は勉強が大嫌いだった。

 中学から勉強は放棄し、ちょっとやんちゃな仲間と共に過ごすことに時間を費やした。

 高校は名前を書けば合格するといわれていた底辺商業高校を選ぶしかなかった。高校などどうでもよかったが、当時の担任が政宗の母親に進学率が落ちるのは困るから進学して欲しいと言い、母親もそれを飲んだ。母親も当時付き合っている男がいて、その男の手前中卒の息子は聞こえが悪いと思っていたので二人の利益が一致したからだった。

 政宗が高校へ進学するとすぐに母親は再婚した。居心地の悪かった政宗は家を出た。自分の食い扶持くらい稼ぎたくて、友達のツテで割の良いアルバイトを探していた時に嶋田の事務所を紹介されたのだった。

 政宗は高校を辞めてもいいと思っていた。さすがに学費は自分では払えない。しかも学費が必要なその度に母親の新婚家庭に足を運ぶ羽目になるからだ。再婚相手は快く学費を出してくれた。政宗をわざわざ呼ぶのは、そうでもしないと政宗が実家に顔を出さないからだ。それくらいには好意的だったのである。

 そして一年も経った頃、政宗は母親の妊娠を知った。まさか四十歳近い母親が妊娠すると思わなかった。

 政宗はそれを嶋田に言ったことがある。嶋田は少し考えてから、政宗にこう言った。

「政、それなら尚のこと高校は卒業しねえといけねえなあ」

 政宗は自分が思っていたことと逆のことを言われて驚いた。

 新しい家族が出来る。そう聞いて政宗はもう負担はかけられないとすぐに考えた。だから嶋田に相談したら、組に誘ってもらえるのではないかという下心もあったのだ。

「どうしてっすか? 赤ん坊にカネかかるじゃないっすか?」

 政宗は口を尖らせてそう言った。嶋田はそれを聞いて笑った。

「新しい親父ってのはカネに困ってんのか? ンなわけねえよな? だったら少なくとも血の繋がった奴にゃ普通に暮らして欲しいって思うもんだ。少なくとも今の時代、中卒の兄弟なんてヤツは居て欲しくはねえわな」

 そういうもんだろうか?

「世の普通の奴ってモンはそんなもんだぜ? 黙って頭下げて、高校卒業させてもらえ」

 嶋田はその手を政宗の頭の上にぽすんと置いた。

「何回言ったら分かるんですかねえ。ちゃんと覚えてこいって言いましたよね!」

 口調は荒くはないものの、日に何度も政宗は徳本から叱責を受けた。

 政宗の勉強の出来なさから半年でどうこうできるものじゃないと、今年の試験は見送ることになった。来年におあずけだ。

 最初のころは『分からない意味が分からない……』と落ち込んでいた徳本だったが、そのうちに自作の資料を作ってきて政宗に教えてくれた。当の政宗といえば勉強詰めで半月ほど経った頃、蕁麻疹がでた。医者に行くと『強度のストレスのせい』だと言われた。それを聞いた嶋田は爆笑していたが、政宗には三日ほど休みをくれた。その後で徳本の姿勢が変わったのだから、嶋田が徳本に何かアドバイスしてくれたことは間違いなかった。

 そのかいあってか政宗も少しずつではあるが、勉強のコツのようなものは掴んでいった。少なくとも自分の家の色んなところに、必要な法律を付箋に書き込んで貼っていくくらいには成長した。

 一年半後、政宗は試験に合格し、貸金業務取扱主任者として無事登録することが出来た。

 徳本も嶋田も自分のことのように喜んでくれた。特に徳本は祝賀会の二次会のカラオケで号泣しながら歌っていた。

 嶋田も「これからは徳本さんに実践を少しずつ教えて貰え」と、嬉しそうに政宗の髪をくしゃくしゃになるまで撫でた。

 それから程なくして、嶋田は襲撃され生命を落とした。